*和解の効用と限界*

――東京放送退職年金権確認訴訟の場合――

原告 宮木健吉

*異例の和解打診*

 東京放送年金受給者の会の役員や原告は、06年8月3日に行なわれた東京地裁中西裁判長による異例の結審後和解打診に驚きましたが、当初の方針通り話し合いのテーブルに着くことにしました。結審当日に和解を打診する裁判長の意図は不明ですが、頭から拒否して裁判官の心証を損ねたり、可能性が僅かとはいえ早期解決の機会を失うのは得策でないと判断したからです。

*和解に対する二つの意見*

 91日から始まった和解交渉については、原告らの間に二つの意見があったと思います。『これだけ裁判を有利に進めてきたのに和解になれば大きく妥協することになるから、和解交渉はしない方が良い』というのと、『会社の強硬措置から1年半経って経済的に窮している会員も多いから、早期解決の機会を無にすることはない』という意見です。どちらの意見が正しいかは和解交渉の結果が出るまで分かりません。

*変わらない会社の態度*

 裁判の経過を考えてみると、客観的に見て会社は裁判で窮地に立たされているのに、本件措置に対する考え方に変化は見られません。双方の最終準備書面を見ても原告側は会社の主張を見事に論破しているのに、会社は同じ主張を繰り返すだけで原告主張に反論するどころか、指摘された事実誤認や法令解釈の誤りも修正していません。会社の役員担務でも本件は水野常務の専権事項になっていますが、実際は井上社長にしか決定権がない状態だと推察されます。

*会社側代理人事務所*

 会社側代理人は開業20年目の弁護士事務所ロア・ユナイテッドです。法廷には代表の岩出誠弁護士と筒井剛弁護士が出廷しています。第8回口頭弁論調書にあるように、原告側証人が誘導尋問に答えないと『シャーラップ』と叫んで裁判長に制止され、被告側証人が7円と証言した東京エレクトロン株の簿価を『3円ですよ!3円!』と得意げに披瀝したのは、他ならぬ岩出代表です。被告側準備書面などにおける事実誤認や法令・判例解釈の誤りは枚挙に暇がありません。法廷証言の内容から見て、会社側代理人は会社経理や株式取引の造詣も深くないようです。

*代理人の意外な素顔*

 ところが岩出代表は弁護士暦30年で首都大学東京法科大学院の講師を務めるベテランです。事務所のロア・ユナイテッドも全国5600社の法務担当者のアンケートによる『日経ビジネス誌』弁護士ランキングの人事・労働部門で2年連続5位にランクされています。

 本法廷における弁護士とは思えない所業と法人担当者間の良い評判との落差は不可解です。会社側代理人は単に年金問題の経験が少ないだけでなく、当初から年金制度の合法的な清算より制度の破壊を目論んでいるのではないかと疑いたくなります。少なくとも和解の席で原告が『本件は会社が始めたことだから会社は責任を持って年金制度を復活せよ』と迫ったのに対して、被告側が『年金制度の復活には絶対応じられない』と強調することとは符合します。

*海図のない航海*

 私たち受給者はささやかな老後の安定のために、退職時に退職金を一時金でなく終身年金で受取る選択をしました。それを突然一方的に清算されたのとその説明の理不尽さが容認できず、私たちは提訴に踏み切りました。しかし会社を信じ切っていた受給者には、年金の知識も法律の常識も持ち合わせていません。受給者に関する情報は会社が握っていて受給者には一切開示しないのです。文字通りこの裁判は『海図のない航海』でした。

*明白な会社の不法性*

 しかし多くの方々のご協力で年金制度の仕組みも会社の不法性も明らかになりました。詳細は他稿に譲りますが、会報26号に同封された『原告側最終準備書面』や会報23号の拙文をご覧になれば、その酷さはご理解頂けるでしょう。会の役員・原告ら・年金連絡会の方々のご努力で必要な情報も集り、年金に関する法曹界の権威からも有益な情報を頂戴しました。

*前例のない信託部分廃止*

『退職年金証券は日本生命発行なのに何故UFJ信託銀行が供託したか』という疑問も、年金コンサルタントK氏がその謎を解いてくれました。適格年金の国税庁認可は保険部分と信託部分の2本立てになっており、TBSは信託部分だけを解約したらしいのです。このようなことは前例がなく、K氏も『国税庁がよく廃止届けを受理したものだ』と驚いていました。関係省庁や金融機関の事情に詳しいK氏には、今後も相談に乗って貰えることになっています。

*墓穴を掘った被告証人尋問*

 被告側証人の陳述と証言がヒントになって、TBSが国税庁の通達に反した財政再計算で積立不足を助長し、清算一時金はその計算を元に行なっていたことが判明しました。女性の死亡率は現状の約三倍で計算しているのです。

 清算一時金の割引きは、受取った一時金を市場で運用した時の運用益を差し引くために行なわれます。最初から運用原資が平均16%も課税控除されたら計算通りに運用できる訳がなく、割引く意味がありません。それをTBSは国民年金も含めた累進課税の税額を比較して『課税増加分は数年で解消する』と原告や裁判所を騙そうとしているのです。

 和解交渉でTBSが『提案した割引率はほぼ30年物の国債利率に相当する』と平気で言う神経は理解できません。割引かれた一時金が元の給付額に戻る30年後には、受給者のほとんどはこの世にいない筈です。

*大幅譲歩の原告和解案*

 原告らは、一時金清算では会社の負担額が多くなり、受給者が長生きすればするほど損をするとの理由で、「閉鎖型年金か正規の係数で計算された一時金受取りのいずれかを原告が選択できる案」を原告和解案として提案しました。

 しかし会社は閉鎖型年金の復活には頑として応じません。「和解は裁判の延長ではなく、お互いに妥協して早期解決を目指すもの」との主旨にそって、清算一時金の会社計算係数の内、死亡率・割引率・税額増加分の補償を正規係数に見直した金額を計算して、その額から約20%減額した額の「会社精算金の50%増」を、原告和解案として再提出しました。この数値は女性の影響を女性比率11%に抑えているので、死亡率の低い女性の中には60%以上も減額したことになる人もいます。原告としては大幅に譲歩した提案です。

*譲歩の姿勢を見せない会社*

受給者の会の役員は、会社が『受給者は騒いでいても、あと50万か100万出せば収まると言っている』との噂を耳にしました。その後、噂とほぼ同額の「年金制度終了慰労金」が提案されました。

会社は裁判期日だけでなく和解の期日まで引延ばしを図った上に、和解交渉も5回目でやっと被告側和解案を提示しました。その金額も「年金制度慰労金(清算一時金の5%)」に3%上乗せしただけで、不当性を指摘された死亡率の見直しや税額増加分の負担は一切行なわないという案です。

 これでは『説明はするが交渉はしない』『会社計算は適法だから会社案をそのまま受取れ』と言っていた提訴以前と変わりはなく、会社は和解交渉を引延ばしの手段に使っていると断ぜざるを得ません。

*和解交渉の効用*

 和解交渉が不調になった場合、私たちは貴重な時間を無駄にしたことになるのでしょうか。確かに判決は3ヶ月ほど遅れますが、裁判長が会社に『会社の一存で決められるというスタートが今回の紛争の発端である』と述べたこと、原告の和解案の説明で原告の主張や被告東京放送の不法性を詳しく裁判所に説明できたことなど、裁判にはそれなりの良い影響を与えられたとも思います。

*受給者減額は日本だけ*

 話は変わりますが、先進国の間で受給者減額が問題になっているのは日本だけです。欧米では保険制度で保障されており、米国には「エリサ法」があり受給者は保護されています。エリサ法のモデルになったGMは経営不振で年金改定が取りざたされていますが、受給者は無関係です。日本でも同様の制度が求められていますが、経営者のモラルが問題になるとの財界の反対で実現していません。それでは日本ならTBSのような年金清算が認められるのでしょうか。

*特異なTBSの年金廃止*

 次の表は最近の年金減額や廃止の判決を『企業年金』誌7月号の筑波大学大学院教授江口隆裕氏の記事などを参考に表にしたものです。TBSの措置が制度変更に必要な要件を何一つ満たしていないことがよく分かると思います。

*年金裁判状況一覧表*

 

 

 

 

判定項目

経営状況

年金性格

改定規定

受給者

現役認識

年度

破綻再建

恩恵的

あり

多数合意

不満あり

 

赤字

功労報償

開示争点

 

 

 

×

優  良

賃金後払

なし

合意なし

不満なし

 

容認

廃止

名古屋学院

名古屋高裁

×

×

受給者

なし

全員が

現役

平成

7年

容認

減額

幸福銀行

大阪地裁

平成

10年

容認

減額

松下電器

大阪地裁

平成

6

容認

減額

松下電器

大阪地裁

平成

17年

否認

廃止

幸福銀行

大阪地裁

×

×

平成

12年

否認

減額

港湾労働者

神戸地裁

×

×

平成

17年

棄却

減額

NTT

東京地裁

×

平成

17年

廃止

TBS

東京地裁

×

×

×

×

×

 名古屋学院の場合は全員が現役のため就業規則不利益変更の法理が適用されたこと、松下電器は改定要件規定の開示の有無が争われていること、NTTは『減額されたら認可した厚生労働省を訴えればよい』との理由で棄却され、厚生労働大臣の認可が下りなかったことを付け加えておきます。

*受給者の損害賠償*

 会社の措置に不満ながらもそれぞれの事情で会社計算の清算一時金を受取った人は、会社計算以上の課税に驚いています。更に今回の原告和解案でもわかるように、会社計算の一時金は不適切な適用死亡率・割引率・課税増加分の補償で大きく減額されています。既に一時金を受取った人でも『会社に騙された』と訴えることが出来る状況です。民法第691条2項でも損害賠償の請求が出来るとされています。

*何時まで加害者でいられるか*

 株主総会で井上社長は『本件措置は株主のためには良いことをした』との主旨の発言をしています。ここで一時金の大幅増額を認めることは本件措置の誤りを認めることになると思っているのでしょう。しかし、このままいけば会社の立場は悪くなるばかりです。会社が敗訴すれば社会的批判も強くなるでしょう。和解の機会を無視することは、会社にとっても貴重な解決の機会を失ったことになると思います。

*裁判は正念場*

 減額強行から1年半、受給者の経済的困難も限界に達しています。だからといってこのまま泣き寝入りすることは会社の措置を認めたことになり、到底容認できません。裁判の行方は判決が出るまで分かりませんが、常識が覆る事はないと信じています。判決が出れば状況も大きく変わります。和解が不調に終わった場合は、判決を得て新たな方針を考えるべきでしょう。道は自ずから開けるものと信じています。            (06年11月26日)